1969年生まれの綴り✍️
『踊る会席 小捜査線』
時代の流れと共に
言われなくなってゆく
“割烹” と “会席” と言う言葉。
時代は↓
‘和食’ と ‘おまかせコース’
↑ ↑
どうも自分は馴染めません。
余談ですが、
とある日の日曜日に
御来店された御隠居様は
かつてフレンチのシェフだったそうで、
入ってきた時(←青奈に)
“オヌシ只者ではないな” と…
直感が 見事に的中🎯
詳しくは記せませんが、
都内の大物シェフであった。
が・しかし、
会話の中で(←料理や お店の話し)
ほぼ横文字も専門用語も使わない
例えば 普通に “宴会” って言う(笑)
決して ‘宴会’ を
横文字やフランス語で言わない。
(そこがカッコイイ)
さらに 現役時代は、
世界的に名の知れた ある方から
料理を作ってくれ と
言われたほどのシェフなのに、
自分は⛳️ゴルフでは有名人だよ と
わけわからん自慢をしていた(笑)
トドメは
他県へのプチ旅行へ行った時の話しで、
その土地の人気店や有名店、ご当地名物、
いくつか行ったけど
デニーズが一番美味かったよ(笑)
と、さらっと言った。
やっぱり一流の人は、
☝️“他店の評価 や 噂話 を しない”。
☝️“能書き や 講釈を たれない”。
その目の前では
緊張しながら秋刀魚を焼く💦
ちっぽけな自分が居た(笑)
さあ本題です (↑余談長すぎ・笑)
“会席料理” って
冒頭にも書いたとおり
‘会席’ という言葉が使われなくなった。
そして勝手に、
高級なイメージ。
さらに勝手に、
良い素材をちょっとずつ なイメージ。
…どこから方向が変わっちまったのか?
イメージばかりが
ひとり歩きしちゃってますが、
本来は、
人と人とが会う席で出される
普通の “宴会料理” です。
では なぜ?
お一人様ずつ、ひと品ずつ 出すのか?
…会席の流儀は いくつかありますが、
堅苦しい能書きは置いといて、
単純にそのほうが “食べやすい” ですよね。
“おもてなしの原点” って☝️そこでしょ。
宴会で大皿や鍋って
遠慮したり、手が届かなかったり、
🥢食べづらいでしょ。
そして、
冷たい料理は冷たく、熱い料理は熱く、
そのほうが より美味しい。
(中途半端に ぬるいのって…😞)
なので 一品ずつ お出しします。
最後に、
青奈の会席料理は、
唯一無二の もたれない串揚げが、
多すぎず 少なすぎず、
丁度いい量 出ます👍
もちろん揚げたてを。
(※掲載写真参照↗️)
会席料理の御予約などの詳細は、
当ホームページ内の
【🪭宴会料理(会席料理)】を
ご参照ください。
青奈の会席料理で
小さな御宴会を是非です♪
令和六年10月24日の綴り✍️
『おかげさまで16周年』
季節料理青奈
おかげさまで
本日10月10日
16周年を迎えました。
(↑よくぞここまで笑)
これもひとえに
皆様の支えがあったからこそと
心より感謝申し上げます。
「和食」じゃなくて『割烹』
「料理人」じゃなくて『板前』
「おまかせコース」じゃなくて『会席』
「アラカルト」じゃなくて『単品』
…まだまだ出てきますが この辺で(笑)
☝️
そんな青奈で在り続けたいと思います。
ブレずに。
☝️
決して頑固ジジイじゃありませんよ(笑)
(↑…よく誤解されますが・笑)
ただ、
“日本らしく在りたい”
それだけです。
ちょいと街外れの小さな店ですが。
時代おくれの
器の小さな人間ですが(笑)
どうぞ お気軽に御来店下さい♪
🎬青奈オヤジのどーでもイイ話。
深夜の録画鑑賞(←ささやかな息抜き)
朝ドラ ‘虎ちゃん’ 途中リタイア。
昼ドラ ‘はるちゃん’ 途中リタイア。
朝ドラ ‘おむすび? おにぎり?観ない。
今は “踊る大捜査線”…色あせませんね。
只、深っちゃんが可愛いすぎて、
時々 話が入ってこなくなる、
そして、巻き戻すから、
連ドラ版1話観るのに80分かかる(笑)
…毎朝5時起き(←早く寝ろ←自分に)
※あくまでも個人の談です。
令和六年10月10日の綴り✍️
『反逆の土瓶蒸し』
まだまだ暑い毎日
ですが 早くも
市場に出てきた松茸。
松茸と云えば土瓶蒸し。
が・しかし、
青奈の土瓶蒸しは
↓
地蛤(じはまぐり)
の 土瓶蒸しです。
そうです、
松茸の土瓶蒸しではございません。
つい具材に とらわれがちですが、
忘れないでおくんなせい🫱
土瓶蒸しの主役は “出汁” です。
☝️土瓶で蒸して ‘旨みを引き出す’ を
いろいろやった結果発表〜‼️
最優秀賞は
🎤地蛤の土瓶蒸し〜😋
※あくまでも
青奈では です。
ほのかな潮の香り。
そして何より
地蛤から出る出汁と
青奈の一番出汁を合わせた
“ダブル出汁” が
五臓六腑に染み渡る美味さです。
土瓶蒸しの出汁を肴に🍶一献
これぞ 割烹料理の醍醐味👍
是非です♪
🎬青奈オヤジの 沁み渡る一曲
「反逆のブルースを歌え/ARB」
🎙️反逆のブルースを歌え
光なき この無情の街に
…
反逆のブルースを歌え
システムに葬られる前に
令和六年8月16日の綴り✍️
『時代に乗るのも悪くない』
断然
“一汁一菜” 派の
わたくし青奈オヤジですが、
これ観ちゃったら👉
ノックアウト(笑)
文太さんが(←役の中で)
昔は ‘張り込み’ といえば
にぎりメシ だった…と、
“初” モスバーガーを食べる。
しかも きんぴらライスバーガー。
↑一気に時代に乗った(笑)
何より 文太さんが、
こーゆうドラマに出ていたとは!
※掲載写真は只今再放送中の
「ドラマ古畑任三郎より引用」
…
あの名作映画「県警対組織暴力」を
彷彿とさせる背広姿。
文太さんのアドリブなのか?
モスバーガーを
↓
「モスラバーガー」というセリフ(笑)
あゝ俺も “張り込み” して
モスラバーガー食いて〜(笑)
…
わたくし 長年 夜の仕事。
いつの時代も
ゴールデンタイムのテレビとは無縁。
………↑今現在もですが。
ここ最近 “録画鑑賞” が
ささやかな楽しみの初老、
「時代に乗るのも悪くない」
↑
30年も前のドラマ観て ‘思う’ (笑)
そして、
青奈の串揚げも
時代に乗れたらイイな〜
令和六年6月5日の綴り✍️
『解禁』
ここ数ヶ月 悩みました。
バカな頭で(←若干ね・笑)
いろんな角度で考えました。
元々狭い心を こじ開けて(笑)
…
大変失礼ですが、
靴下履いていても不衛生な方は います。
逆に、
素足でも清潔な方は 沢山います。
余談ですが、
栃木県でも薄味好みの方は沢山いますし、
‘京’でも濃い味好きの方は いるでしょう。
昨年 来日された韓国の方は、
“キムチとか辛いの苦手” と言っていた(笑)
ちなみに一人で 鮎塩焼きを4尾も食べて、
“又来るから 長生きして下さい” と言って
帰国した(笑)
…
長生きしたいです(←青奈という店を)
なので、
『素足での御入店 可』です♪
(※なるべく靴下着用で来て下さい)
🎬時代に追いついてきた青奈オヤジの
こんな時 心に染みたソング🎧
「光と影/ササキカズヤ」
…
不器用な やり方じゃ
俺も通用しなかったよ
あんたの場所で眠りなよ
それは 光と影の中さ
光と影のさ
…
令和六年5月26日の綴り✍️
『こう在り続けたい』
“中村主水”
↑ドラマ必殺シリーズで
故・藤田まことさんが演じた
架空の人ですが、
わたくし青奈オヤジの
尊敬する人物の一人です。
表は ‘うだつがあがらない’ 平同心。
裏では ‘凄腕’ 殺し屋。
⚠️殺し屋志願ではありません(笑)
‘料理人の露出’ (←顔・姿・経歴など)
が増えた現代ですが
本来、飲食業・料理人の仕事は、
『裏方』です!
俺が 俺が と 前に出ない。
見えない部分に鋭く。
中村主水のように。
(※あくまでも個人の思考です)
余談ですが、
外食 外飲み時(←久しく行ってませんが)
ある時は 派遣社員。
ある時は トラック野郎。
又 ある時は…(←もう ええわ👋)
つまり、
料理人アピールや、
(↑俺 味 分かるぜ! 的な振る舞い)
青奈アピールなど、
(↑ウチは こうだぜ! 的な振る舞い)
絶対にやりません。(←個人の談です)
‘中村主水のように’ …在り続けたい。
※自分は 二流の料理人で恐縮ですが。
🎬青奈オヤジのどーでもイイ話し。
もしも表舞台に出るなら🎤バンドで。
↑もう とっくに引退してますが(笑)
又は
時代劇か任侠映画に出て殺陣に挑戦!
↑妄想の中では常に やってますが(笑)
※掲載写真の一部は
ドラマ必殺シリーズより引用。
令和六年4月21日の綴り✍️
『一本の串揚げ あとがき』
✍️串揚げストーリー
いかがでしたか?
きっと最終章で
拍子抜けしたことでしょう(笑)
結局青奈は ‘串揚げ’ なんです。
‘串揚げ屋のオヤジ’ でいいんです。
↑コレ、前向きな発言です。
…
どういうわけか?
よく
京都や銀座を引き合いに出されたり、
おまかせコースをリクエストされたり、
(↑和食の、ね。)
…けっこう困るんですよ(笑)
わたくしは凡人板前です。
…
そもそも自分の中では、
京都は ‘新撰組’
銀座は ‘カッコマン・ブギの歌い出し’
🎤 銀座・原宿・六本木 🎵🎸
↑ダウン・タウン・ブギウギ・バンド。
つまりは、
京都や銀座で
日本料理や割烹料理を食ったことね〜(笑)
その前に、
京都も銀座も行ったことね〜(笑)
さらに、
馬鹿正直な心の声を出しちゃうと、
京都にも銀座にも 興味ね〜(笑)
※いち国民としての個人的意見です🙇♂️
好きなのは 上野と浅草です♪
毎日、
‘昆布と鰹節の天然だし’ 引いてます。
‘焚き合わせ’ も 仕込んでます。
だけど、
串揚げ屋のオヤジでいいんです。
串揚げだって立派な料理です。
[ザ・串揚げ]ページをご覧下さい。
↑アピール(笑)
【まとめ】
居酒屋以上で高級店未満の
『串揚げメインの大衆割烹』
それが青奈という店です。
お仕事帰りにでも
気さくに寄って下さい。
お好きな串揚げを
💁♂️一本だけでも大歓迎です。
🎬追記・青奈オヤジのどーでもイイ話し。
1986年当時わたくし青春の高校2年生。
↑‘不適切にもほどがある’ ドンピシャ👍
‘ブギウギ’ 朝ドラ史上最高傑作(個人的に)
録画鑑賞がささやかな楽しみなオヤジです。
令和六年3月7日の綴り✍️
『一本の串揚げ 最終章』
割烹店に入った18の時、
当時の夢は
‘バンドでデビュー’
‘叶った時を想定’
↓
自分の歌がCMで起用され、
オリコンチャート急上昇。
ザ・ベストテン初登場第9位。
出演を断るも 所属事務所に説得され
2回目くらいで出演(←この時 第4位)
歌う前 黒柳さんと久米さんに、
「デビュー前は板前さんだったそうで」
と、番組が用意した魚をサーっと捌いて、
それでは今週の第4位と🎤歌に行く。
⚠️↑妄想の話しです。
板前修業に入った動機は不純って事(笑)
割烹店を辞めた後は バンドに明け暮れ
一時期 職業も ‘ブレて’
結果 何をやっても長続きせず、
やっぱり料理の仕事がイイと痛感した。
何かで痛感した時に浮かぶ歌は 決まって、
泉谷しげるさんの名曲 ‘春のからっ風’
🎤今度こそ 真面目に やるんだ〜🎵
(↑2番の サビに行く前の歌詞)
そんなこんなで 料理の世界に出戻り
料理と本当に真剣に向き合った。
そして ‘一本の串揚げ’ と出会った。
【たかが串揚げ されど串揚げ】
青奈オヤジ満54歳
宇都宮の ちょいと街外れで
今日も老眼鏡かけて 串揚げ 揚げてます。
掲載📸は
世界一憧れの
シンガーソングライター
ササキカズヤさん。
⚠️青奈オヤジでは ありません。
自分 こんなカッコよくありません(笑)
令和六年2月28日の綴り✍️
『一本の串揚げ 第三章』
これは青奈オヤジが
まだ30代前半の頃に挑んだ
ノンフィクション
串揚げストーリーです。
【第三章 これだ〜】
第二章からの流れで行くと
青奈オヤジの串揚げ業(わざ)の、
‘㊙︎大公開’ と なってしまう。
↑嫌じゃ〜 (笑)
ここは ザックリ✍️綴りましょう。
串揚げらしい串揚げにならない。
あの串揚げ屋さんの職人さんが
教えてくれるハズもない。
通ってパクる?
そんな ‘ナメた事は できません’
俠(おとこ)ですから。
第一の難関 ‘衣の食感’ 🤔
一度 頭から ‘揚げ物’ を外してみた。
基本に戻ってみた、揚げ物の基本ではなく、
☝️‘料理の基本’ に。
滑らかな 口当たりと 軽い食感
…んっ⁉︎ 💡もしかして!(◎_◎;)
そう まさに その ‘もしかして’ だった。
割烹でも フレンチでも やる手仕事だった。
↑
割烹店での修業時代に ‘会席料理’ で
何度も やった仕事だった。
すっかり忘れてた〜(反省)
やっぱり基本に勝るモノはない(しみじみ)
そして ‘ひと手間’ の積み重ねだ。
食材や調味料の組み合わせではなく、
‘めんどくせー ひと手間’ だ。
こうして ‘これだ〜’ って ‘衣’ が できた。
あの串揚げ屋さんとは ‘また違う 衣’ だ。
あの串揚げ屋さんとは 違うが、
✊自信を持って ‘美味しい衣’ ができた。
青奈オヤジの串揚げ確立まで あと少し。
次回いよいよ
『一本の串揚げ』最終章。
つづく
📸掲載写真は、
青奈オヤジ長年愛用の ‘串揚げ道具’
昔ながらの厚底鉄鍋と長い揚げ箸。
※毎日洗って帰ります。
↑あたりまえですが。
令和六年2月23日の綴り✍️
『一本の串揚げ 第二章』
すっかり串揚げの虜になった
当時30代前半 青奈オヤジの
ある部分 暴露本(笑)
✍️綴ります。
それでは、
【第二章 舐めんなよ串揚げ】
時間、お金…
‘他店食べ歩き’ など そう頻繁にできない。
ならば、
あの店の串揚げの味わいの ‘記憶を頼り’ に、
試しに やってみるか〜。
二流だろうが 凡人板前だろうが、
18歳から割烹店で下積みと基本は やった。
割烹店の揚げ物と云えば
天ぷら、唐揚げ(主に魚介)、
更に突然やらされた(←クソ忙しい中・笑)
献立に無い チキンカツ!(◎_◎;)
↑魚が食べれない客用。
…修羅場は くぐってきた(←つもり)
いってみよう!(←いかりや長介 か👋)
30代の頃勤めていた店で、
この職種の特権か?職権濫用か?(笑)
経営者の目を掻い潜り(笑)
串揚げを作り
調理場の仲間達と一緒に試食。
見た目は上品で旨そうに揚がった。
ひと口目 サクッとくる(←いい感じ)
が しかし、衣の食感が重い、
出ない⁉︎ あの食感が…
‘舐めんなよ 串揚げ’ (←自分に)
📸掲載写真は
朝ドラ再放送 さくら より 引用
三寺まいりに納めるローソク作りに挑む若旦那と
婆様の漬物作りの🎬シーン。
令和六年2月21日の綴り✍️
『一本の串揚げ 第一章』
今更ながら、
わたくしめの ‘串揚げ’ を
✍️綴ります。
ある部分 青奈オヤジの暴露本(笑)
それでは、
【第一章 出会い】
時は20年以上も前の話し。
宇都宮市内の割烹料理店で
基本の修業を得た後、
いろんな飲食店で働きながら、
ただ漠然と
‘自分の店を持ちたい’
そんな毎日を送っていた。
その頃 思い描いていたのは、
“ロック🎙️テイストな割烹”
(↑なんじゃそりゃ?笑)
‘創作和食 と BARみたいな内装’
(↑今の俺じゃありえない笑)
※これでも わたくし 元ロッカー、
シンガーソングライター(←元 ね)
そんな頃 知人に招かれ訪れた
こじんまりとした 某 串揚げ屋さん。
とっても清潔な小上がり座敷。
‘お好み’ で 一本から注文できる。
揚げたてを ‘一本ずつ’ 席まで運んでくれる。
‘人生初の串揚げ’ だ。
TVで観るソウルフード串カツとは違う感じ。
トンカツやフライとも また違う。
トッピングなどの演出もない。
…
軽い食感で やさしい口あたり。
揚げたて熱々 思わずハフハフ。
串揚げというか、
ちょっとイイ 天ぷら屋さんのお座敷で
上品な天ぷらを食べているような錯覚!(◎_◎;)
その美味しさと綺麗さの虜になった
その時、
わたくし青奈オヤジ まだ30代前半だった。
つづく
令和六年2月16日の綴り✍️
